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Daily Masando

Daily Masando は、私の活動記を日記イメージにて適時掲載しています。
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  歴史と軍事
Date: 2017-12-03 (Sun)
久しく、新本を買わなかったが、新聞広告を見て書店に行っても在庫がないので(桑名以内)名古屋へ行ったついでに三省堂で買い求めた。

鴻上尚史の「不死身の特攻兵」陸軍特攻兵佐々木友次伍長の生還物語だ。

海軍の美濃部指揮官に対比される陸軍の1兵卒(指揮される側)の記録である。

著者の童顔風貌をNHKジャパンクールで拝見していて頼りないポスト団塊世代だと思っていたが,中々緻密な調査と取材で、品切れ増刷されていることは、百田の「永遠の0」と両方読むと団塊世代以降の誰もが前大戦の日本人と大日本帝国が分かる作品だと思う。

残念ながら著者の世代の範疇で、軍事知識が着け刃なのも分かってしまう。
それと、作家や劇演出家には、工業製品に関する知識やセンスがかけていることにも気がつく。
VTヒューズを40mm機銃弾に装着することが技術的にも量産消費的にも当時は不可能だったことが理解できていない。
たとえ史書や文献に書いてあっても誤記である。
書き写すだけでは、単なる系図屋に堕ちてしまう。
自分の教養でそれを克服しなければならないと、今回そう思った。

  第40回町並みゼミ有松大会
Date: 2017-11-20 (Mon)
名古屋での基調講演が須田JR東海相談役だったので、公的な立場で参加した。

今まで疑いも無く自信をもって使い続けてきた「まち育み(スマートグロース)」が間違いだったかも知れないと感じる講演だった。

観光とは、光り輝く優れたものを観ることであって、決して卑近なものではない。
そして大事なことは無償ではない、有償の行為であって当然だ。
そのためにも観光に耐えうる「まちづくり(ビルト)」をしなければ、観光立国、観光立市は出来ない。
という講演は、簡明且つ真実の啓蒙だと思う。

以後、今日まで4日間に渡る視察とシンポジウムの中身が濃いゼミナールが、40年も続いていたことに感銘した。

まだまだ自分の世界は狭く、優れた交流が広がっていく満足感に浸った濃密な時間だった。


  沖縄航路廃止と丸栄閉店
Date: 2017-10-10 (Tue)
前者は昭和45年から、後者はさらに前の昭和37年から利用し、親しんできた会社、店舗だった。

初めて琉球列島の奄美群島へ行ったのは20歳の時、往きこそ神戸の中突堤から関西汽船で渡ったが、沖永良部、与論、そして其の帰りは、琉球海運の「波の上丸」「浮島丸」を利用した。

未だ沖縄は返還されておらず、ビザ無しの僕は与論島で一番の高台に上り、朝焼けの中で浮かび上がってくる沖縄本島を眺めていた。

以後度々、東京から、大阪から、、名古屋から、ありあけ丸や飛龍、あるぜんちな丸などに乗船したものだ。

この前に書いた内海航路と違う、海国日本とヤポネシアを実感する青春の思い出だ。

一方、丸栄百貨店は江戸初期の十一屋呉服店をルーツにする、名古屋の老舗で、NHKのジュニアオーケストラ時代から、なぜか松坂屋より好きな百貨店だった。
世帯を持ってからは来店することはなくなったが、それは栄地区に行かなくなったからであり、オリエンタル中村が高島屋になっていく名古屋の商業地図の塗り変り時期だったのだろう。

トランプが正式に擬似温暖化対策に引導を渡して、石炭火力を復活させる方向に舵を切ったことにシンクロナイズする時代の流れを感じさせる今日だった。

  ガラパゴス日本
Date: 2017-09-30 (Sat)
携帯や軽自動車のことではありません。2年前にも書いた高校野球世界戦のことです。

1年生木偶の坊だった清宮が3年生になっても本質的に何も成長していないことが明らかになった大会でしたね。
自称史上最強の日本打線は、実力どおりの不発でした。

金属バットや、一説には飛ぶボールで粉飾された長打は、体力体格が上の欧米人高校生の速球や変化球を木製バットで捕らえることが出来なかったのです。

中村の甲子園での本塁打数は、確かに数字では清原を上回りましたが、清宮にいたっては本番にも出られず、ローカルの練習試合を含めて新記録とか蜂の頭とか、笑止千万。

桐生が、小学校の運動場で練習中に9秒8を出したといってニュースにしたら、其の新聞社はつぶれるでしょう。

厳密なる陸上競技でも、条件の違う9秒98と10秒00の優劣を比べるおろかさを、若いサニブラウンは「記録は勝負の結果だ」とはっきり断言しています。
最速なのは最強のサニブラウン少年ですね。「勝つ」とは故山中毅選手の言う1着になることだけを指すのですよ。

  クルーズレポート番外編
Date: 2017-09-18 (Mon)
瀬戸内海昼間航海とアラスカインサイドパッケージクルーズを体験して、大海原も船旅ですが、内海航路もその島影を見ながらの船旅が予想以上に心地よかったと思います。
 日本の瀬戸内海は崩れ行く、そして埋もれていく宝物なのが残念です。

航海中に出会った大陸系と台湾系の中国人が印象的です。
彼らの側から見ても、僕から見ても、中国系米人と本国の中国人、台湾系中国人と日本留学組中国人、韓国人と韓国系米人の区別がわかったことは興味深いことでした。
其の差は、ようするに品性の差だと思いました。

しかし、国際社会中での人種を問わない米国人の親近性には学ばねば成らないところが大きいと思います。

シャッターを押すことを頼むと、彼らは例外なく親しみを込めて何枚もとってくれました。
ところが無愛想なのが日本人のオバちゃんたちです。

又、日本留学組みの中国人や、中流以上の韓国人は親日で、日本人と分かると話しかけてきます。昔の日本人が持っていた恥じらいやわきまえというものを持っているのが彼らだということにも、気がつきます。

日本の中高年の皆さん、ぜひクルーズ旅行を楽しみましょう。

  クルーズレポートラスト
Date: 2017-09-14 (Thu)
8月26日に桑名を発って9月3日に帰ってきました。
最後の寄港地はカナダ領ビクトリアです。

理由はわかりませんが、目と鼻の先の母港シアトルの直前、午後5時にビクトリアに着岸したので、市内ツアーには参加せずに、港近くのフィッシャーマンズワーフに出かけました。
日本でも漁港の市場には必ず立ち寄ります。

日本の磯の香りのする漁港とは違って、おとぎの国のようなカラフルで楽しい浮き屋(船上生活家屋)が住居や店舗になっていて、地元の市民や旅行客のたまり場になっていました。

日本の水上生活者が賤民窟であるような暗さは全くありません。
桑名で云えば寺町の魚の棚側に出張って建っていた戦後のドサクサ居座り店舗は何だったのでしょうね。
ビクトリアでは住居も店舗も、すべて水面側が玄関でした。

そんな興味深い体験を最後に、僕らの久しぶりの誕生日祝い旅行は帰途についたのです。

  クルーズレポートV
Date: 2017-09-09 (Sat)
3回目は、いよいよこのクルーズ白眉のグレーシャーベイで氷河の観察です。

氷河は普通は高山の積雪が解けながら凍って流れていくものです。
それが海まで解けずに達したところで、自重に堪えられなくなり、割れて海面に滑落するのです。

11万トンの巨船が、そのまま氷河に接近して、肉眼で其の滑落を見るのですが、どの部分が滑落するのかは予想できません。
ただ、滑落時に大きな音を発します。地鳴りかな?

何も知らずにこれだけを見れば、これも「地球温暖化」のせいにされてしまいますね。
そうなれば、この公園海域の氷河はあと数年でなくなってしまいますよ(笑)

さて。アラスカクルーズは各船会社のメッカでありまして、この日も入れ替わり、5隻の巨大船がこの海域を往復交差するという、世界のクルーズ界から日本郵船のクリスタルクルーズが5万トンの中途半端さからはじき出されて、其のうちの1隻が「飛鳥2」になったのがうなずける実感を、この視界のスケールから読み取ることが出来ました。

息子がつぶやいていた、「三菱は役所のような所だ」にも納得しました。

  クルーズレポートU
Date: 2017-09-08 (Fri)
次は、ゴールドラッシュの上陸地となった、スキャグウェイという港町です。

奥地で砂金が見つかる前の人口10人から、最盛期1万人を超えた町も金鉱を取り尽くすと元の千人以下の寒村に戻りました。

金鉱に向かう鉄道も1980年代に廃止になりかけましたが、そのころ始まった大型船のクルーズで、逆に活性化しています。

港桟橋に隣接して、このユーコン鉄道は始発して、カナダ国境をこえて金鉱の町(当時)まで通じています。

僕らは、このナローゲージの遊覧鉄道に乗って、カナダ国境まで行き、(峠の最高部)そこから折り返して返ってくる、入門コースでした。

片道20.3kmの北勢線と同じ行程を、其の2倍の時間をかけて往復するのですから、同乗の鉄ちゃんは大喜びでした。

後で気がついたのですが、最後尾のベランダからの眺めが最高で、乗るのなら最後車か最前車両がベストなのは、石取祭の渡祭順と同じでしたね。

  クルーズレポートT
Date: 2017-09-07 (Thu)
シアトル空港から停泊地まではプリンセスクルーズ手配のバスで移動しました。これが1人往復8千円。中部空港から成田空港までの料金と一緒ではちょっと高いなあ。

最初の寄港地ジュノーはアラスカ州都ですが、なんと人口3万人。
日本なら市ではなく町の人口です。アラスカの街はすべてこれ以下の人口規模なのです。

ホエールウオッチングは190ドルと言う高値でしたが、全行程で10回ほど背中と尻尾が見えただけでした。
ツアー船が比較的大きな船だったので、小型船の後から遠距離での観察でした。
クルーズ船に戻って出航した翌朝は、11万トンの巨大船の回りは鯨だらけ。
生息地を横断するのですから、わざわざツアーに参加する事は無駄でしたね。

  航海づいた今年
Date: 2017-09-06 (Wed)
愛息が祖母のための介護休職を取ったというので、これ幸いに彼に留守番を頼んで、妻と9日間のアラスカクルーズに出かけた。

別に行き先を決めていたわけでもなく、この時節南方より北向きの外国で、10日間以内で探すと、アラスカしかなかった。

5年ぶりのクルーズなので、勝手が違っていることもあり、ESTAなる査証も自分で取得したはずが、成田空港で未取得に成っていると言われ、あわてて空港で取り直し。

8月26日土曜発の9月3日日曜着ということで、中部成田間の国内線が行きは朝一番だったのが幸いした。

シアトル発のルビープリンセス(11万トン)が満席の3000人を乗せて出航。
以後ジュノー、スキャグウェイー、グレーシャーベイ、ケチカンと航海し、最後はカナダ領のヴィクトリアに寄港して母港に帰ってきた。

中国人(米帰化人と本国人)が多かった。あと台湾系と韓国も続いていたが、日本人は我々夫婦を含めて6人だけという少数派。
これでは日本人ガイドが付かないはずだ。
老若男女、ファミリーで乗船している、中韓及び白系米人の中流階級が人生を楽しんでいることに比べて我が日本人が、其の世界3位の経済力に似つかわしくない生活を送っている様に、失われた20年を実感している。

  マスコミの無知を憂う
Date: 2017-06-21 (Wed)
米海軍の駆逐艦とフィリピン籍の貨物船の衝突で、米艦側の被害の大きさを各紙TV局が解説しているが、ピンボケと無知の集合である。
だいたいイージス艦という識別は無い。軍事常識であるのはイージス(防空)システムを積んだ、駆逐艦(デストロイヤー)か巡洋艦(クルーザー)のことを指す。

トランプの日本政府への謝礼は「米国の駆逐艦救援に感謝する。」というものだった。
日本の解説委員による「最近の軍艦は装甲が薄い。」なんて、給料泥棒も呆れるほどだ。
駆逐艦は狭義の「軍艦」ではない。故に出現した時から今日まで「装甲」は設けられたことがない。俗語でチン(ブリキ)艦と呼ばれている。

日本のいわゆるイージス艦は「あたご」とか「こんごう」などと命名されていることから、これは愛宕山、金剛山に由来する装甲巡洋艦だと推測するが、装甲の有る無しや箇所と厚み、材質など軍機だから公表されるはずがない。

こんな状態で、憲法改正なんて無理だ。軍事を監視する機関が無いという事だ。

  イパネマの娘
Date: 2017-06-10 (Sat)
先日、治療中のアキレス腱の薬を受け取りに薬局で待っていたらポルトガル語を話す若い男女が入ってきた。

男のほうはずんぐりした体躯に顔だけセルジオメンデスのようなご仁だったが、女性の方は170cmを超える長身の半分もある。長い手足に小さな顔、ツンと上を向いた鼻と黒すぎない肌がブラジル人であることを物語っていた。

イパネマ海岸で見かけた美少女を讃えて、モラエスとジョビンが作ったのが「イパネマの娘」だ。
きっと目の前のような佳人だったのだろう。

最近、ボサノバ興隆期のCDを集めている。モラエス、ジョビン、ジルベルト、バーデンパウエル、、、。
僕の青春を彩ってくれた彼らはすでに鬼籍に入っている。

そんな感慨にふけりながら、僕の目の前を形のいい足とお尻が通り過ぎていった。

  瀬戸内デイクルーズ
Date: 2017-06-06 (Tue)
永年の夢?だった瀬戸内海を西へ日中航海するクルーズに出かけた。
船は10時40分神戸発大分行きのサンフラワー、12時間の短い航海だが、西洋人たちがエーゲ海になぞらえた箱庭のような多島海は50年前ならさぞ美しかっただろうと惜しまれる。

緑に覆われていただろう島々の削られた山肌や、その奥に林立する工場煙突が遠景に見えるだけでも興ざめはしないでもないが、それでも十分美しかった。

陸上の馬鹿馬鹿しい高額鉄道クルーズブームの陰で、それに数倍するオンリーワンである瀬戸内の海は昼間に渡ってこそ日本に生まれた幸せを感じる。

帰宅してから、城山三郎の戦時短編の中で終戦間際瀬戸内海で起きたF6Fによる海軍少年兵惨殺の悲劇を読んで気が滅入ってしまったけれど、先ほどオートグラフから流れてくる竹内まりやのインプレッションズを聞いて、また10年前の甘い気分がよみがえってきた。
山へ向かって走る車の中で流れていた歌だった。

  招かれざる客
Date: 2017-03-04 (Sat)
50年前のアメリカ映画「招かれざる客」がBSで字幕スーパーで放映されたので何10年ぶりに鑑賞しました。
まだ若い頃観たこの作品のシチュエーションが、リベラルな新聞社オーナーの一人娘がエリート黒人医師との結婚を親夫婦の1日を描いた、1967年当時の話題作でした。
モハメド・アリが絶頂期の時に徴兵拒否で世界タイトルを剥奪された、ベトナム戦争と黒人問題の時代の作品です。

僕も若くて、結婚問題に無縁の頃でしたから、このペアがありえない想定だと、アメリカのリベラリズムの軽薄さだけが浮き出しになった映画だと思っていました。
時を経て自分がその親の世代を超えて、感じたことは、時空を超えた恒久的な命題を問うた作品だったと気がつきました。

シドニーポアチエのメジャーデビュー映画であり、スペンサートレーシーや
キャサリンヘップバーンなどの名優で脇を固められた映画は、最後に演ずる母娘と同じ涙がわが頬をつたう、自分自身涙もろくなったことを自覚させる2時間でした。

  再開
Date: 2017-02-15 (Wed)

山中毅氏が亡くなった。「五輪は勝って(1位)で何ぼなもの。2位や3位はおまけで、6位(入賞)はドベと同じ」と真実を語った日本の至宝だった自由形水泳選手。

荻野の出現で、奇跡が連続することとなったが、高校生でオリンピック水泳種目メダリストになったただ2人の選手。
山中の偉大さと日本の国力の後進性を実証する偉人の死去の報土だった。

  老操縦士の死去
Date: 2016-05-04 (Wed)
昨日、元海軍戦闘機操縦士の原田要翁が逝去されたことが報じられた。
母艦搭乗員としての翁の戦歴は、台南空の陸上部隊勤務だった故サムライ坂井と並び称されるべき双璧の存在だったといえる。

パネー号に直撃弾を命中させ、真珠湾攻撃に参加し、ミッドウエー海戦では空母蒼龍の母艦直援機の隊長として、3空母の被弾と母艦の沈没を上空から見つめてなお、最期に残った飛龍に着艦した。
その間、上空直援戦闘中に2度被弾して、搭乗機は2機が放棄された。
そして、合計5機の敵機を屠ったが、飛龍も被弾して、最後は海上に不時着水して巻雲に救い上げられるのだが、そこで、軍人の生命価値に序列があることを思い知ることになったと、後年インビューで語られている。

翁の操縦士としての最後の戦場がガダルカナル上空だった。
空中で負傷して不時着した彼が、奇跡的に生還するのも故坂井と瓜二つだ。
戦後の幼児教育者としての道を全うされた彼の青春が、日本の歴史の生き証人としての人生を天から授けられており、晩年の強い反戦姿勢が、戦争体験者などではない、戦闘体験者として極めて貴重だったことを、思い起こす昨日だった。

  スポーツその3
Date: 2016-03-06 (Sun)
明治維新以後からも、数々の戦争を経て前大戦の敗戦の反省からでも、
我が国は1セットしか最前線戦力を保有できないことがはっきりした。

零戦の栄光と悲惨に似て、我がなでしこも4年間同じメンバーで戦い、そして惨敗した。
ベストメンバーなどではなく、次の2セット戦力が育たなかったのは次世代戦闘機を戦力化できずに特攻機と堕ちた老兵を見るようで、
なんとも悲しい女子サッカーオリンピックアジア予選ではあった。

  スポーツその2
Date: 2015-09-22 (Tue)
想定外?でラグビーW杯の日本チームが南アに逆転勝ちを収めた。
24年ぶりのW 杯勝利だそうである。
得点しづらいサッカーと違って、バスケやラグビーは実力どおりの結果がほとんどで番狂わせは起こらないとされてきた。

だから、日本の勝利は奇跡ではなく、必然だったといえる。
それには精神力もファクターの一つだ。

下のU18野球でも例えに使ったが、南アの状況はミッドウエー海戦の日本海軍に極似している。
ずっと敵の攻勢を受け続け、戦略的イニシアチブをとられ続けて最期に逆転された。

最終局面でキックを選んだチームとスクラムを選択したチームのファイティングスピリットが勝敗を分けた。
女子だけでなく日本男子もよくやるじゃないかと、青年層を再評価した。

  高校野球寸評
Date: 2015-09-07 (Mon)
半年振りの書き込みに、U18野球選手権を取り上げます。
圧倒的に精密で強力な精鋭をそろえた日本高校選抜チームが、又してもアメリカの牙城を崩すことが出来ませんでした。
主戦の佐藤投手にとっては、再び決勝で相手チームの歓喜を見いやることになったのは皮肉なことです。

敗因は監督の無能無策による、戦略的な完敗です。
アメリカを破って世界一になれないのは、ミッドウエーの帝国海軍と同じでした。
予選で対決して、手の内を見せてしまった佐藤投手を「過去の実績」で再投入した時点で敗戦必至でした。
プロ野球OBの張本氏が「佐藤のフォークはアメリカチームが予選で打てなかったから、佐藤を投げさせれば日本は勝てる。」とのたもうたことで、このOBの知能レベルがばれてしまいました。

アメリカは国民性として。一度の負けを研究して次回に戦訓を残します。
真珠湾で成功してもミッドウエーでは同じ手を食いません。
なでしこジャパンもヤンキー女に戦闘開始早々の速攻を受け。負けるべくして負けました。

U18日本チームの先発は右の上野投手で、リリーフが左の成田翔しかアメリカの打者を交わすことは出来ないのですよ。
2人とも小型で俊敏。常に自分より大きい相手と戦ってきたのですから、相手が180センチから190センチになっただけのこと。
しかし、日本人の中で体のでかさで勝ってきた清宮みたいな木偶の坊には、自分より大きな外人には通用しません。

あんなお荷物を4番DHに置いたのは、南雲艦隊の中に戦艦三笠がいるようなものです。
マスコミの煽動につられて見に行く大衆もアホとしか言い様がありません。

戦争中も朝日新聞以下「無敵皇軍。連戦連勝!」と煽っていたのに事実は10対0の完敗でした。

  人々の人生と縁
Date: 2015-02-06 (Fri)
さきほど、NHKのファミリーヒストリーと言う番組で、女優の羽田美智子の5代に渡る家族史が放映されていました。
別に彼女の熱烈なファンではありませんが、ナレーターの谷原章介自身の同番組が放映された時に、海軍の軍属になった日本郵船の船長だった父親の生涯を東京商船学校に訪ねるシーンで、四日市高校同級の俊秀、松下修君が谷原氏に卒業名簿をみせる場面が脳裏に浮かびました。

四日市高校始まって以来の秀才だと、当時の教師たちから賞賛され、順当に東大理2数学科に進んだ彼は、大学院卒業後東京商船大学に奉職しました。
球面三角という数学理論を求めている大学がそこしかなかったというのが後年彼から聞いた理由です。

長良川河口堰問題で苦闘している僕に、彼が住んでいる国立市の女性議員を紹介されたのが4半世紀前です。
後に国立市長に推された松下君は国家公務員であることを理由にその立場を彼女に託しました。

昨年末、彼の急死を聞いた僕に僕らの世代の幕引きの自覚と再生への意志を蘇らせる、何らかの「力」を感じています。

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